日语文章分享


「世界が終わる瞬間まで、人々は恋をしていた」

 「世界が終わる瞬間まで、人々は恋をしていた」。

 本の書き出しがこんなもんだったら、読む気がそそられるのは無理もない。恋という言葉に一種の執着心のある私たちは歌で恋を叫び、ドラマで恋を演じ、本で恋を描き、10秒足らないCMでも恋物語りを唱えようとする。

 肉体的な快楽を求めるのは動物としての本能に駆使されているのかもしれないが、恋という精神的な表現にほかならない儚いものを追求するのは人間でしかしないことである。まぁ、よくかわいい子が目の前に現れた時のキュンとする衝動を恋だと間違えてしまうが、それは勃起に伴うただの錯覚で違う。

 勃起はあまりしないが、恋に飢えている人間の一人として終わりゆく世界にも興味があって、こんな世界での恋は一体どんなものなんだろうと、三年前のある昼下がり、書店のSFコーナーで「塩の街」という本に巡り合ったたわたしは見届けてやろうと思った。

 宇宙から飛んできた巨大な塩の柱が世界各地に落下し、それを見た人がたちまち動きが止まり、びくりともしない塩の彫像になってしまう。空前の危機が人間社会に迫る。

 なるほど、SF小説としては、確かにこれ以上荒唐無稽な話はなさそうだ。

 しかし先に進むにつれ、こんな軽い気持ちがだんだん出てこなくなった。死にゆく世界に次から次へと登場して、そして塩になっていく個性に富んだキャラクターと明日が来なくなるかもしれない世界でもわがままな恋に身を任す 人たちに心を鷲掴みにされ、没頭して、読み込んでいるときのほとばしる感情で身震いを覚えてしまったのも一度や二度ではない。

 いったいどんな話だって?

 普通だよ、ごく普通な恋物語だけだよ。普通な16歳の少女が戦技競技会三連覇の航空自衛隊のエースパイロットに出会って、普通に恋に落ちて、そしてこの二人の恋でついでに世界が助かったって話…

 まぁ、少し乱暴な解説になっていると思うが、詳しい話はまた皆さんが読むときの楽しみとして内緒にしておこう。

 一気に読み切ることはあまり好まないが、それでも似たような猛スピードで読破した。そのあと同じく有川浩先生の書いた「空の中」、「海の底」両作を読ませていただいたのもたぶんそのときめちゃくちゃ感動した気持ちをもう一度味わいたかったのだろうと思う。

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 携帯、タブレット、インターネットなどであらゆるエンターテインメントを満喫している今の私たちにはなぜ物語りが必要なんだろう。

 この変化があまり訪れてこない世界で毎日決まったように生きていくことはつらい。いっそう動物みたいにただ食って寝ればいいような生活ができたらいいが、あいにく私たちには考える力を授かられている。その力によってせっかく私たちが「人間らしく」という文字通りに生きることができたが、同じ力で出来上がった複雑極まりない人間社会を歩んでいるうちに疲れたから「考えたくない」とか、頼むから「楽になりたい」なんて気持ちを抱いてしまうのは甚だ皮肉としか思えない。

 そんな困った私たちの前に現れたのは物語りである。一見周りのことからかけ離れた話ばかりだが、現実を見過ぎてきた私たちにとってはこれほど都合のいいものはない。嘘だとわかっていても、信じたいから、この出来すぎている作り話の世界に思わず没入する。

 自己逃避を言っているように聞こえるかもしれないが、違う。だって人間のような高度に発達した知力の持ち主なら、たかが数百ページしかない薄い本で自己逃避ができるなんておかしいものだ。私たちが物語りから求めているのはたぶん慌しい人生の中の一刻の安らぎと持て余している考える力を発散できる場所じゃないかと思う。

 そのためにも恋は最高のテーマだ。言葉とか数字とか教えてもらわないとできない私たちだが、教えてくれる人がいなくても勝手に恋心を覚えてしまう。そんな自分の恋を物語の主人公たちの恋にぶつかって比べるのはちょっとばかみたいだけど、「ここは俺だったらどうしていたのかな」とか「恋がうまくいかないのはこのせいなのか」とかついつい考えて、いつの間にか恋の仕方が身についていた。