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日语文章分享 - 3


跟随之前日语老师分享的个人文章,我们接着与大家分享第三篇:

倦怠期

 子供のごろより感情が豊かになった。笑うとき、泣くとき、眉をひそめるとき、顔を背けるとき、全然大丈夫じゃないのにまだ行けると言うとき。喜ぶべきか、悲しむべきか、どんなときにどう反応すればいいのか本やテレビから教わった、大人の振る舞いから読み取った。私はいつも感情のアンテナを尖らせ、あちこちに伸ばして集めてきたガラクタを解読してその結果を自分に反映させるようになった。おかげで絶対に相手を怒らせない会話術も身につけ、人に反発なくお願いを聞いてもらうこともできた。少しくらいならそういう今の自分に誇りを持ってもいいようなものだが、勤務を終えて、ホームで帰りの地下鉄を待つ間、ほんとうはもう疲れ切っていて何も考えたくないのに、頭の中からどこか違うという違和感の声がどうしても消えなかった。

 辛うじてうちまで逃げ込み、日が暮れたあとの暗い部屋のベッドで横になった途端、夢見る能力が失われつつある自分と直面することを余儀なくされた。昔は周囲の何もかもが新鮮で、それを全部知ろうと過敏過ぎるまで磨いてきた神経は今では邪魔でしかなかった。手加減なしにさんざん酷使してきたのに、今スイッチがあるなら、すぐにでも消してしまいたいというのは甚だ皮肉なもんだ。リビングのテレビの音も、携帯の着信音も、ベランダから伝わってくる虫の囁きもノイズになって私を一層煩わした。見つめた何もない真っ白な天井でさえ憎たらしい。そうかと言って目を閉じて、耳をふさぐわけにもいかなかった。そうしたら、昼間の記憶が怒涛のように襲ってくるのだから。朝のどんよりした低い空、エレベーターの中の腐った空気、必ず同じ時刻にやってくる電車、無表情のまま携帯とにらめっこする人たち、あたかも陽気であろう笑顔で同僚たちと交わす朝の挨拶と嘔吐感、生徒の質問に切羽詰って額に滲む脂汗、やがて時間になって救われたように「じゃまた明日」とそのあとに必ず起こる自己嫌悪、改札口に並ぶイライラした意識の集合体、手は繋いでいるが心は繋いでいないカップルの後ろ姿、壁にあるしみ、コップのひび割れ、異臭漂うゴミ箱と涙痕のようにその表面にこびりつく黒い筋。死ぬまでに幕が下りることのない茶番劇のように明日になったら、あた同じのようなものを見させられることになると思うと、どうしても耐えなくて、神様から授かったと言われる人間のこの感受性を私が呪った。

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 生まれ育った町にちょっと変わった木がある。空を覆うように枝があちこちに伸びていて、足場にちょうどいい少し曲がりくねている幹はときおり子供の遊び場になり、夏の強い日差しから守ってもらうべく、その大きな樹冠を目指して身を寄せてくる人も多かった。そんな優しい隣人とも言える木だが

少し性格が変わっている。

 春になって周りの木々がみんな芽生え始めた中でその寂れた梢は眠っているかのように枯葉に包まれたまま生命の風の訪れも知らずにいた。やがて秋を迎えて、落ち着いた色に染まる町中で痛いほど目につくその木の新緑が調和を乱してしまう。後で知ったが、どうやら元は春に芽吹いて、秋に枯れる何の変哲もないやつだが、ほかの地に移植されたら、植えかえられた時期に葉が落ちるようになるそうだ。なんて気まぐれで自分勝手なやつなんだろうと無性に腹が立ってきた。だって、特別な存在になるというのは周りから取り残される存在になることを意味する。それで寂しくないのか、苦しくないのか、仲間から除外されることが怖くないのか?木などに問いかけても答えなんてあるはずがない、余計な心配だと分かっていても、その大きな木にどうしても惹かれてしまう。なんだか側に近づいている間に失いかけている夢見る力が少しばかりだが返ってくるからだと思う。

 「夢」

 まるで過去のある時点で、岐路に立たされた一人の私から今の私が分裂されたように、一人は約束されたわけでもない、輝いているように見える終点の道を選んで進むことにした、もう一人は、たぶんそのまま踏みとどまった。

 決して楽な道ではなかった。手探りで不器用に歩いてはぶつかっていた、つまずくこともあった。それでも、前へ進むことしかできなかった。いつのまにか、あんなにあった今の道と平行する無数の道が全部見えなくなったからだ。しかし歩きに歩いてもその光る終着点に近づいてる気配はまったくないどころか、周りがどんどん暗くなっていく。気づいたら、その漆黒に体内から視覚や聴覚、臭覚、あらゆる感覚を持って行かれていることが分かった。気が動転して、まるで見えない化け物がギザギザの牙で私の体をバラバラに噛み砕いているような恐怖感に襲われ、狂ってしまいそうになったとき、光が現れた。おかしいことに、それが今目指している方向からではなく、背後からさしてきたものだった。躊躇いながら振り返ってみたら、そこに子供がいた。もう一人の自分だとすぐに分かった。彼はどこにも行かずに今の私にずっと引っ張られて来たんだ。その唇の動きから私は彼の言葉をこう読んだ「感じよう」と。次の瞬間、彼の姿はあの大きな木に化した。木の上で「早く来い」と笑っている子供がいた、小さな仲間が頷いて幹をよじ登っていった。根っこにつまずいて転んだ子を「大丈夫」と慰める母親がいた。木の後ろで手の甲を目に当てて泣いている女の子がいた、その隣に男の子が優しそうに頭を撫でてくれた。大きな木がその全部を無言のまま受け入れて、見守っていた。なんだよ、全然寂しいとか苦しくなんかないじゃないか。やがて夜になり、木の葉を透かして地面に落ちた星の光が風とともに揺らぎだしたとき、気持ちよさそうに囁く木霊の声を聞いて、私はさとった、感じるということはどういうものなのか。

 次の朝、何も変わらない中で何か違った。大きな橋の下を潜って行く運搬船、舌に残るお茶のほろ苦い味、ラジオから流れ出る昨日とさして変わらない内容の放送とアナウンサーの聞き心地いい声、しおりをつけておいた完璧な解釈がされている辞書の項目、気持ちよく頬を撫でる風とその風でめくれたスカートを慌てて抑える目に眩しいぐらいの少女の姿。私は見たり聞いたり感じたりしたものをそのままなんの解釈も加えずにただただ懸命に体に収めようとした。嬉しい気持ちや悲しい気持ち、胸が裂けそうなときやぎゅっとするときを全部全部噛みしめて、今度振り返ったとき「生きることってこんなに幸せなんだ」と笑ってあの子に言えるように。


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